周りが同じ姿だったら
ふと思った。周りが同じな姿だったら?
差を求めるだろうか?
求めない、と思った。
この種類と決まっていたなら(例えばひまわりならひまわりとして)、何もそこに思わない。
それでも、自意識を捨てることに恐怖心や躊躇が起こるのは、先が見えないから(読めない)だろうか。人を辞めることになるから?
なんとなく、最近は、アマナカムナ世界は、個人が意識を持たず木になるような感じに思う。
自然なら何でもいいのだけど(なんにでもなれるという意味ではなくて)、落ちて押し上げるを全うするものになるのだろう。そこに自分の意思はあると思う。
感情に基づく思考はなくなっても、人間でいたときの周りから移り変わらされる焦りやその落ち着かなさがなくなるのは、求めていることと一致する気がする。
なにもかも本来は自分で行えるし決めれる。左右されないことは得難いように思う。
なんとなく、人間世界から心は離れていっているいま。
ひまわり組になったら?で考えていくと状態が想像しやすい。想像は予想だけれど、思い込んでいる執着を取りやすいような。
ただ人目線を極力入れないようにしないと。
こうやって毎日ずっと
自分以外のことで消耗して死んで繰り返してまたそうさせられる。
自分が自分の責任を取ることをやめたからか
嫌でたまらない。
人間目線から2
人間目線からの嫌なシュチュエーション
暗く光の差さないジメジメとしたカビだらけの場所。
灼熱と極寒で死に至る場所。
他にも。
追記、でも、カビだらけのはずの自然の景色に落ち着いたりきれいだと思ったり、極限の世界にも厳格さがあって憧れるのは‥
半分半分持つ気持ち。
良い所だけ受け入れるのでなく、良くないと思うところも受け入れる。人の目線をやめて、すべてを受け入れる。
受け入れる?のか同化なのか?
花火(自然)当事者になろうと思う気持ちは湧かないけれど、害することなくただ見ていたいと思うのは、元父と同じなのかなあ。
でも、見たいのは人ではなくて、自然。邪魔せずいたい。
これはアマナカムナに悪いのかしら。
双子を成り立たせる事がない状態でいるのは、自然に反するのか。
うーん、ああ、人に興味を持つのは盤上だった。
自然に興味を持つのも盤上精神か。
生き方を変えるか問われている。
自分か、周りか。どちらを選ぶ。
人間目線から
アマナカムナの世界とは、人間世界の嫌なこと、真逆では?人間視点から人間の嫌なことを書くと、
大事にされない
無視される
ひどい目にあう
悲しい
辛い
恐ろしい
困る
苦しい
楽しくない
嬉しくない
夢がない
希望がない
面白くない
暴力的
野蛮
冷徹
冷酷
残酷
助けてもらえない
助けがない
孤独
何もない
意味もない
つまらない
仲良くない
暇
忙しい
痛い
苦しい
終わらない
取り戻せない
一度きり
枯れる
死ぬ
不安
大変
疑う
理解されない
わからない
落ち着かない
休めない
安らげない
永遠
繰り返し
自由がない
寂しい
今思いつく事。
嘘がないと自分自身が確認できる、寿命がないがあること。
どうしてかよく思ってみる。
追記、これら人間の目線から見ての意味づけこそがそもそも無いのが(感じない?)アマナカムナ世界そのものなのかもしれないと思いはじめた。
映画のようにエンドロールの音楽もなくオープニングの華々しい始まりもなくて、映画もあったけどなくて、なにもかもあってなくて、確かなのは自分だけ。
狂わないための(いろんな)羅針盤が双子とその関係だと、それも意識することなく、繰り返されるかのように思える。
なぜ生き続けれるのか?意味を求める時点で人なのだろう。
私が私を求める。
自分の大きく見れば発生させたことになる、ひまわりやたんぽぽ組、元父達。自分の細胞と戦うような事が起きて、結末として細胞のほとんどは隔離して消える。
人を辞めないとこの先は出れないし狂ってしまう。人のままだと生きながら(生きてない)別に狂う。
どちらにしても耐えれなくなったとき消滅すると思うのだけど、元父の盤上世界だと、元父が消滅するまでつきあわされる気がする。(消滅したいのに出来ない)
自分の生きるとは人の意思によるものじゃないと、あらためて思った。
この考えがあってるかは分からないが、私に戻りたいと思うことに繋がるなら、良い半分、悪い半分。
私を成り立たせる以外のところを消していく。
そうしよう。しないと。
行ったこと
1、自分の幼少期の性質とよく見ていた夢を思い出す。
〜じっくり思い出すと、どうも外装アマのようだ。誰からも注目されたい。現実(盤上)は、供なわず。
構われなかったから、人を引きつけたいのかと今まで思っていたが、元々のよう。
よく思い出せば、今も願望として人に見てもらいたい様。
した事、
投影を極力持たないように意識して、
幼少期の自分の夢と考えと行動をかえりみた。
内装か外装か判別した。
2、外装の性質と、欠けと余剰を把握する
ヘリウムの余剰から始まっている。
酸素は余剰している(面倒に思っている/感覚の機械化)
=思考や感情の余剰
炭素も余剰か(まとめてシンプルにしたい)
(マルチタスクが複雑な処理に思う)
3、やめていく事とその都度のチェック
《自分以外の 余分なものが 個体性に混ざらない事》
覚えてわすれないように。
まだこれから、
自分なりの理解と行うこと
とても知りたかったことをしおりちゃんさんに教えてもらえたように思う。
理解
子供がやはり気にかかる。が、投影で子供を見すぎでいた。→全てにおいて投影しないようにしないと。
病気はその本人の意志によるものを、体をもってアマカムが再現している。
→本人のみが意志を変えるなりできるもので、まして親(他人)には何もできはしないこと。しようと思うことじゃない事。
→以前に、自分で親を選ぶことも教えてもらった。
自分も含めて、自己責任なんだなと‥
追記、
〜お互いを大切に思う、というような心配は余剰の「憎しみ」だと考えていて、愛と憎しみは、お札の表と裏のように同起源〜←しおりちゃんさん記述
しては良くない。教えてもらえて、心に根付かせないと。
今の感想
まず私は投影をもたずに全てに接していかないと‥いろんな方々のブログから必要な、教えてもらえていると思うことも歪めてしまう。そこから。