hutaridehitoriの日記

もののケのしおりさんの話と自分の理解

外していく実感

まだ解れたばかり。

食欲、性欲が出る時は、大概自分を拒否して感情と思考に囚われているとき。盤上の天秤を片方傾けている状態。しおりちゃんさんが言ってくれていた、二元論になっている時。

外す、解除するには、天秤してる二元論のもとを見つけて、思考と感情を込めず(持たず)意識をそこへ向ける。体の部分ならそこへ向ける。
そこで発生している事(起きている事(思いでも体でも))を認識(認める)する。
その際は盤上の常識認識に捕われず、好き嫌い、きれい汚い他二元論で判断せず、思いを込めずにする。

見つけて確認すると次第になくなる。見ないふりをすると余剰して盤上に囚われていく。

また、人の心配より自分の心配。アマナとカムナを考えるより(現状から起きた経緯を探ったり確認したり辿るのでなくて)、
やっぱり自分の為に。私には私の事しかできない。

しおりちゃんさんや感謝くんさんの言うことがやっと理解の入り口にたててきたように思う。

やはり理解が難しい

困ることがない、というか現在に何も思うことのない人にはしおりちゃんさんの話は到底受け入れられない(受けつけない)ようだ。

しかし、話をして私も気がついたことがあった。あんなに普通を求めていたのに(普段から普通になれないと感じていて)、
普通に死ぬ(病院に入るまでに暇つぶしの趣味をしながら、最後にはベッドの上で介護や治療を受けながら)のがとてつもなく受け入れたくないこと。
嫌なこと。

このまま無為に過ごしていてはいけない。砂時計があるこの生の間に答えを出すために来たはずなのだから、取り組んで自分の答えを出す。
時間の無限の漂っていた時と違う。今をかけて死ぬまでしないと。焦らないで悠長にしないで日々とりくまないと。

多分人間界は短い。

実際問題-1

何もできない。生きるということは余剰で、余剰を消すには人のいない世界を暮らすということ。
自分だけを生きるとき、精神と実際を消せるがなかなか。

追記
ふっとわかった。
方法論じゃなくて、自分の双子を脅かす(条件)を潰すということが求めていたこと。
双子の成立だけ考える。あとは余分で余剰。時々は確認と吟味。

盤上で良くないということは、自然では良いこと。
何もしない。孤独。つまらない。
ポジティブに捉えては、天秤になるのでせずに、する。

自然から思い出す

盤上の意識をその都度見つけて辞めて、自然に戻る。
還る場所とわかる。

戻れなくても(双子としても場所としても)目指すのはここ以外はない。

結末はなくてもいい。

追記、人間の男女の体は自然ではない。余剰を射影したものとか。気をつけたい。

なんで地球に来たか

なんとなくわかった。

双子として戻るには地球に降りないと戻れないからだ。
(自然に触れないと理解できない、選択できない)

見ている側では双子に、自然側の双子に戻れないのだ。

宇宙に意識として漂っている見る側の双子では、選ぶことなく元父と共に(共でもないのか)消えることになる。

ああ、わかった。強い意識があった。自然の双子に戻りたくて自分を投下したのだ。

死にたくないだけではなくて、選択していた。自分の意志で。多分何もかもわかっていて降りた。
自分の意志が発見できて良かった。

近いと思っていたが、終了間際だとは

いつも後の祭りで自分の実感や気持ちが湧く。
多分、98.4くらいの終わり際。なんとなくの位。

人が妙に優しくしてくれるように感じたのが2日前から。
鏡に映らなくなってきたのか‥

もう、消滅コースかな、と思う。でも、盤上で生きていても双子として戻れないなら、生命の意味はないなと思う。

しおりちゃんさんが見ていたのは大方違うものかもしれない。しかし、しおりちゃんさんが教えてくれなければ双子の世界は知り得なかった。

災害に巻き込まれて死んだとき、恨みを持たず、双子を考えて、消滅か輪廻か双子か選択を持てればいい。

きっと、私も押し上げる気は薄くなっていたから、双子にしてもそんな気がする。ほんと、ただ今後の双子世界が見てみたいだけで、生きる気はなさそう。
死に際には足掻きそうだけど、真剣さが足りない。

でも、盤上で生きていくのはすごい御免だしなあ。この先平穏が約束されていたとしても、盤上で輪廻するのは自分の為じゃなくて元父のためだから、絶対に嫌だ。


私自身の望みは、ただ眠って起きたくない。
何もしたくない。自然や世界を変化を遠くから眺めていたいだけかも。

枯れた花は 二度と戻ってくる事はない

時間はないけれど、物事はある。


枯れたら戻らない。

ただ、何度も(決めた回数分)起こす。

繰返しがあるけど、終わらない永遠は無くて、
夢見る盤上(永遠を望む)と自然(決めた回数)の違い。


夢は夢で、そのままは自然に戻れはしない。
夢から醒めて自然に戻ろうとした時戻ると思う。

夢は自分が見つからない。探し続けて終わる(寿命というフィルムが尽きたとき)、また探し続けて終わる、の繰返し。

自然は自分からなる全て。
人(夢世界)の思考形態から何もかも違うのでなにもしっくりこないと感じるが、例えるなら郷愁みたいなものを自然と自然に触れたときの感覚に思えるなら、
それが近い感じではないかと思う。

戻りたいものだなあ。