hutaridehitoriの日記

もののケのしおりさんの話と自分の理解

病気について

基本的には病気はアマナとカムナを憎んで元父の有性人となったことによる、
恨みの深さ?=症状の程度の重さ?

発達障害と盤上認識、でも実際は異常である状態ではあるがその人の性質。

人的に言うとエラーか。アマナとカムナの例えでは元母か。

エラーとなって、慌てふためいてまわりを恨んで焦った、咲くことなく枯れるのが見えた。

できたことは、状態を認めて、心に思うことを認めて、選択をしてやめること。

それでも咲かなくても、次が見えなくても、自分を失わずいれたのではないか。発生して、消える恐怖。

自分の存在が自分でないものに生殺決定権があるように感じて怖かったのではないだろうか。

自分だけを見て、周りを見ない。命の長さも状況も環境も比べるものじゃない。命をやめるのも自分に委ねられている。
アマナとカムナがベースにあっても、決めるのは自分。

元父の制度も嫌なら、自分で考える。

比べない、恨まない。自分を見る。

追記、足りないように思うことは余剰していないか欠けがないことだったか‥
そういうところで見ると、発達障害は、欠けないことや余剰しない選択で来た?

このまま子供を見る、それが葛藤する。意志の邪魔はしたくないが、確かに盤上でいう改善されることは、余剰にほかならない(余剰が今後されることになる)。

保護色もまとえないような、針のムシロになるような。それを本来の私が望む状況(欠けなく余剰を辞め表現する)なのだろうけど、
人としての恐怖心が(社会的生活が終わる)引きとめる。考えれば、別に元々盤上に保護色できていないのだけど‥(生き方が能力的にも心情的にも合わせれなくて)

治ってほしい、は余計な事なのに‥社会的抹殺(私と子供)が思いにこびりつく。疑問も浮かぶ。

ただ今書いていて、そんなに思う程じゃない気もしてきた‥
盤上での決別、私はスナフキンしてもいいけど子供は、どうなんだろう‥
盤上好きかな?判断なんてこの子はできないだろう。この子の生まれる前の望みが判れば、それに合わせるけれど。

ああ、どっちにしろ置いていっても(盤上)夫がうまく盤上仕様に子供を導けないだろうし(虐待ぜんとしたひどい目に合わせるだろう)、
連れて行っても私に盤上生活能力はないので、スナフキン後には共に野垂れ死にするだろう。か、良くて生活保護

どっちにしろ、子供は生きれないのか。うーん‥
幸せとは不幸と=だね。盤上人生としては、詰んでいる。

さてはて。もし時間があるなら、せめて20歳までは育ててどちらも選べるようにさせてあげたいが2033年か‥

思考や感情を使わず済むように、書きこんで判断する問題解決ワークシート、いる物リスト(その場、4ヶ月ほど)、行動前チェックシート、普段の行動シート、もろもろ自作しないと。